日々雑感

honnomusi.exblog.jp
ブログトップ

手なし娘と反抗期

この前、「手なし娘」が語れなくなった話を書きましたが・・・・・

今はインターネットでいろんな文献を見れるので、それらを見ながら
色々考えたのですが、

このおはなしは、「思春期、青年期、成人期」の変遷の物語 なのだ~と
わかりました。

保育士試験の勉強で何度も出てきた「エリクソンの心理社会的発達理論」
というのがあるのですが

その理論を地でいく、人間の成長過程からすると、きわめてオーソドックスなタイプの
おはなし なんだなと。

継母(親)から、手を切り落とされ谷に突き落とされる という極悪非道な扱いは
「思春期の親子の葛藤」、そして「親からへの自立」 を意味しています。

そして、若旦那に出会い、結婚すること。これは青年期(そして成人前期)。

継母の策略により、結婚生活は破たん。これも、成人前期から成人後期につながる時に
誰しもが経験する、「人生の苦難や障壁、それに伴う挫折」を意味するのでは?
それはある意味、「さまざまな人生の転機」を象徴するような気がします。

そしてクライマックスで、「(子どもの命を助けようとした時に)失われたはずの手が生えてくる」

「なぜ、そんな神がかり的なことが??」 と疑問に思って、なかなか納得出来なかった私ですが

これは、「子供を思う親の強い気持ちのあらわれ」 であり、
これまで「自分にふりかかる苦難」だけの時は、手は生えてこなかったけれど
子供を思う気持ちの強さ、子供を助けたいという一心な気持ち によって、
手が生えてくる・・・・・

つまりそれは、「親としての成長」を示していること

「次世代のために知識、経験、愛情を継承していく時期」である、
(エリクソンの理論でいうところの)成人後期になります。

だから、「手が生えた場面」は、このおはなしの最大のクライマックスであり
そのためだけにこのおはなしが存在する といっても過言ではないと
ある大学の先生も書いていました(ネット上にアップされている論文で)

長々と小難しいことを書いてしまいましたが・・・・・

私が語りを始めるちょっと前に、ある人が言っていたのですが
「自分が、語るおはなしを選ぶとき、そのおはなしのどこに惹かれたのか を考えると
興味深い」

つまり、その時選んだおはなし というのは、その時期に抱えている心理的なものが
大きいのでは と、私はいつも思っています。
でも選んだ時点では、それが何かはわからないのです。
(その時、自分がどういう心理状況にあるか、よくわかってないという意味)

なぜ、私が「手なし娘」を選んだのか

それは思春期に突入した娘のことがあるからかもしれません。

いや~、娘、まさに思春期突入でして・・・・とにかくイライラしています。
ほーんと、反抗的!!
今朝もプリプリ怒って学校に行きました。

家の中、更年期でイライラしている私と、思春期でイライラしている娘
がいるのですから、我が家の男性陣にとっては迷惑なんでしょうが

そんな娘を見ていると、「ああ、自分にもあったよなあ・・・」と思います。

これから、思春期から大人への道を歩んでいく娘と、これまで歩んできた自分を
重ね合わせることが、ますます多くなるのでしょうね~

なので、このおはなしは、小学生でいえば6年生
もしくはそれ以上(中高生)の世代にした方が、しっくり来るような気がしてきました。
(そういえば、このおはなしをしてみて一番反応がよかったのは、高校生の長男だったなあ・・・・・)
[PR]
by juntumai | 2012-10-24 09:04 | 語り